2008/10/18

突然の訃報

パパが種子島へ長い出張にでかけている。
こどもたちが寝てから、外に出て夜空をみあげた。

夜空を1人で見上げるなんて、久しぶり。
こんな風によく夜空を見上げていた10代20代の頃から、
どれくらいの月日が流れたんだろう。。なんて、しみじみ。




9月の終わり頃、1本の訃報が入りました。
家族ぐるみで仲良しの(結婚前から夫婦ともお友達の)
ご主人が亡くなりました。

夕方、突然の電話にて「○○ちゃんの‥」というところまで聞いたとき、
お父様かお母様が亡くなられたんだろうか。。と一瞬にして感じた。

が、電話口からは友達の名前がつげられ。。
愕然として何も言えなくなってしまった。

やっと出てきた言葉は「え‥うそ‥」
とても私に冗談を言うとは思えない相手だったので、
嘘ではないことは明確だったんだけど。

本当に優しくて、懐の広い、素敵な男性でした。
笑っている顔しか思い出せない。

サッカーがらみのパパの昔からの友達で、
3家族集まって、バーベキューを毎年していた。
それぞれのこどもが幼稚園・小学校にあがって、パパの仕事なども
忙しくなっていたりして、ここ2年くらい集まっていなかった。

夏の終わり頃、「もう少し涼しくなったら、また集まりたいね」と
話していたばかり。。

御通夜、告別式にて、こんな形で再会するなんて、ほんとに切なかった。

喪主である友達は、気丈に振舞っていた。
そして、「まさかこんなことになるなんて、思ってもいなかった。
みんな健康診断、ほんとに受けてね」と。

入院してから数週間で亡くなってしまったという。
5歳の娘と3歳の息子を残していかなければならないなんて、
どんなに無念だっただろう。。と思うと涙がとまらない。
残された友達の気持ちを思うと、それも言葉にならない。

こんなことがあっていいのか。。

といくら考えても、答えなんかない。

そして、「sennaちゃんのブログ(当時HP)に影響受けて育児日記はじめたけど、
そのために写真も撮ったし、日々の様子も残っているし、ほんとうにやっててよかった。ありがとう。」
という言葉をもらった。

嬉しさと切なさで、すごく複雑な心境になった。

カメラマンだった父の影響を受けているのか、血なのか、
小学生の頃からカメラを持って、母になってからは毎日ポケットにデジカメを持っている奇特な私。
わが子だけじゃないんだよね。いろんなこどもの表情を狙ってしまう奇特な私。

いつも持っててすごいね。と関心される反面、
人によっては、よくやるよね‥親バカっぽくて引くよね、とか
いつもカメラ出されるとやりにくいんだよね、みたいなこともあったはず。

でも、そんな私の性分も、人の役に立てたっていう事実がここにある。
こんな嬉しいことはない。ありがたい。


ほんとうにいろいろ考えた2週間でした。

彼の供養のためにも、まずは夫婦で健康診断受けます!
面倒だの時間がないだの、こどもが。。だの、四の五の言うのはやめます。。

KENNYさんのご冥福をお祈り申し上げます。。

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2008/04/30

本日も故人のお宅へ

昨日、やり残したことがあったので、故人の家へ急遽行くことにした。母からメールで同じようにこれから向かうと言う。到着したのがお昼時だったので、お弁当を買って、すぐそばにある大きな土手に向かう。

故人から転居のお知らせをもらったときに、「近くに土手があり、とても景色がいい」と書いてあった。その時は、病気だなんて知らなかったので、となりの区に引っ越されたようだし、会いに行くほどは親しくさせてもらってたわけではないけど、こどもを連れて会いに行こうかな♪と漠然と考えていた。こどもたちが走り回り、故人と一緒に歩いている様子をなんだかはっきりと想像したりしていたのが、半年くらい前だ。

20080430_1私がお弁当を買っている間に、主人とこどもたちは大きな土手への階段を登っていた。勝手な想像だけど、故人と歩くかもしれなかった場所に、こどもたちの走る姿が見える。無邪気に階段をのぼるこどもたちを、慌てて遠くからカメラに収めた。すっごく気持ちのよい場所だった。もう一緒にくることなどかなわないと思うと、タオルで顔を覆うしかなくなった。

こどもたちが心配している。パパが説明してくれた。「ママはね、もう会えないから悲しくなっちゃったんだよ」声にならなかったので、代弁してくれてありがたかった。

2ヶ月くらい前に、転居葉書を受けとり、メールアドレスが記載されていたので何気なくメールをした。ちょうど病気のことを聞いたところだったので、治療を拒否することに対して若輩者から本音を聞いてみたりした。返事はすぐにきた。

20080430_22.3やりとりをしたところで、パソコンの接続がうまくいかないとかで携帯からメールが来た。携帯だとわずらわしいかなーと、そこで一度やりとりをとめた。大きくなってから、初めてちゃんとお話したような気がする。なんだかすごく嬉しかったのを覚えている。

あのまま、連絡を続けていればよかったな。とか、私くらい年が離れていると、意外と何かお話をしやすい存在だったのでは?とか、日々の様子を報告してくれたら、もっと早くかけつけられたのでは。。とか、考え出すと、もうとまらなかった。

私達の結婚式以来お会いしていなかったけど、親族のうちで、私が一番近くに住んでいたから。。でも、この2日おうちに伺って、私も少しづつ気持ちや考えをまとめることができたようだ。ただ、故人の仲のよかった人とか、すぐに連絡できなかった人もいたはず。それが、とても悔やまれる。何かできなかったのか‥いくら考えても、答えなんかない。

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2008/04/27

告別式

ほんとうに穏やかな顔をしていた。ガンの末期ということで、大変な痛みが伴っていたのだろう。その苦しさは、想像しえない。おそらく健康体であろう私達には、口にすることすら許されないのでは。。と思ってしまう。その痛みから解放された故人は、きっと幸せだったに違いない。そう思いたい。検査も治療も拒否していた故人。どんな気持ちだったのだろう。。

告別式の終了間際、セレモニーホールからフルートによる演奏がプレゼントされた。2曲目はあの"千の風にふかれて"だった。おきまりの曲目、みんなで涙する演出が想像できて興醒めだよ‥‥そんなひねくれた考えを持ってきても、効果はなかった。これえきれなかったよ。。

より近い親族は、どんな気持ちだったのだろう。私自身の両親や兄弟やこどもだったら。。きっと取り乱してしまうだろう。。

みんなで花を敷き詰め、rukaとsoyoは色とりどりのおりがみにお手紙を書いた。それを入れる。。棺のふたが閉められる。みんなで手を添えてそっと。。遠い記憶で、御棺に釘を打っているのをみた覚えがある。あれはたまらない。でれないじゃん!って恐怖を覚えた。身内にとってはつらい瞬間だろう。それがなかったのでほっとした。無理はわかっているけど、いつまでも別れたくはないもの‥だろう。。

バスで移動し、火葬する施設に足を踏み入れる。悲しみをかかえた私達の前を、遺影をかかえた集団が通り過ぎた。きれいに装飾された部屋が並ぶ。御棺を入れる炉もいくつも並んでいる。私達だけ特別なわけではない。世の中には生も、そして死もたくさん溢れている。そんな現実を目の当たりにする。そして、虚無感。

みんなで故人の話をしながら、数十分待つ。数十分。そんなものなのか。薪をくべるわけじゃないもんな。"炉"だもんな。。こどもたちの無邪気な姿を見ていると、心が落ち着いた。

放送が流れて、みんなでお迎えに行く。お骨を拾う。"体がなくなる"のは、なんてあっけないものなんだろう。係りの人がきちんと説明をして見せてくれる。故人の骨はとても丈夫で、喉仏(脊椎の上部)がきれいに残っているとのこと。とても褒めてくれた。すごく救われた思いがした。丁寧にお骨を拾い、粉になってしまったものもすべて拾って入れてくれた。最後まで見逃せない‥ものだ。真摯に対応してくれた係りの人にお礼を言いたいくらい。

繰り上げて初七日法要をしてもらい、会食。故人の好きなものを。。とお皿を渡され、親族に尋ねる。いくつかのせて遺影のもとへ。食べてくれたかな^^

rukaとsoyo。静かにしてくれてありがとうね。きっと喜んでくれてると思うよ。

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